父の死後、3年の喪をおわった大正6年、「歴史あってより何千年、今生は五十年にして初めて真の春にあった」と叫び、30年来の自己混迷の中よりさめ、第2のアダムとして、第2の楽園に躍り出た蘆花自身の小説的感想であり、人生に対する論文でもある。
「春信」「春の山から」「パレスチナの回想」など7篇が収められている。
「生」につぐ第2の長篇で,後の「縁」とともに自伝的な3部作をなす。
「生」の老母の死後における3人兄弟の生活,特に作者自身でもある次男の小説家勤の家庭を中心にどこにでもある平凡な小市民生活の中に映る人生流転の姿が描かれる。
「平面描写」の技法を試みた作者円熟期の作品として見逃すことができない。
古い型の女房しか知らず世間の恋愛事件をも冷やかに見すごしてきた中年作家・庸三を、恋の焔、情熱のるつぼへたたきこんだ美女・葉子とはどういう女か? その女に若い相手ができたとき、なお葉子から抜け切らない庸三は何を探し求めてやまなかったか? これらの人物をかりて、人間の愛欲を忌憚なく描いた秋声の代表的な作品。
美女「ここは極楽でございますか」。
公子「ははは、そんな処と一所にされて堪るものか。
おい、女の行く極楽に男はおらんぞ。
男の行く極楽に女はいない」。
かつて芥川比呂志、いま坂東玉三郎演出によって上演された表題作は、「天守物語」「夜叉ケ池」とならぶ鏡花幻想劇の極致。
「山吹」「多神教」を併収。
妻に去られた男の淋しさを綿々と訴えた手紙形式の小説。
去っていった女に対する執着と,その遣る方ない淋しさから待合で馴染みになった芸者とのいきさつをこまごまと書き綴った,秋江(1876‐1944)の代表作。
同時所収のその連作「疑惑」とともに,これほど深刻に,赤裸々に男の執着を描いた作品はない。
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