三国志(41)
魏と呉は手を結び、蜀に一大勢力を築いた玄徳に対抗してきた。
関羽は秋の長雨を利用し、襄江の堰を切って魏軍の樊城を落とした。
この隙をねらった呉の呂蒙は、荊州攻めをかってでる。
関羽の万全の備えに頭を抱える呂蒙に、無名の陸遜が関羽を油断させる策を進言する。
陸口の司令官にその陸遜が就任、関羽は侮るが……。
呉に荊州を落とされた関羽は、麦城へ逃れた。
劉封と孟達は援軍を送らず、関羽を見捨てる。
呂蒙の罠にかかった関羽は捕らえられ、最後の拠点・麦城も落とされた。
玄徳はただちに出陣して関羽の仇討ちを果たそうとするが、孔明に諌められて思いとどまる。
洛陽に凱旋した曹操は頭痛とめまいがひどくなり、天下の名医華佗の診察を受ける。
玄徳は関羽を見殺しにした劉封と孟達に処分を下した。
親友の彭義が謀反の罪で処刑されたことを知った孟達は、蜀を裏切り魏に走った。
重臣達の画策により曹丕が魏皇帝に即位すると、漢朝再興を願う玄徳は蜀皇帝となり、魏に対抗。
さらに玄徳は孔明の反対を押しきり、呉進攻を開始。
だが行軍を続ける玄徳のもとに張飛の悲しい知らせが届く。
亡き父の仇討ちに馳せ参じた関興と張苞の活躍により、蜀軍は連戦連勝を続けた。
怒涛の勢いで迫ってくる蜀軍を前に、孫権は張飛の首を持って逃げこんだ二人の武将を送り返して、玄徳の怒りを抑える。
玄徳は仇討ちをすべて果たした後も和睦に応じず、勝ちに乗じて呉を進撃した。
孫権は呉の危急存亡に際し、陸遜を大都督に抜擢する。
呉に大敗を喫し、白帝城に逃げこんだ玄徳は、孔明に後事を託して没した。
劉禅が皇帝の位につくと、魏の曹丕は五路から蜀攻めを企てる。
孔明はすでに四路からの攻撃に手を打っており、劉禅を安心させる。
残る一路、呉との国交回復の使者に抜擢されたトウ芝は、死も覚悟の上で呉へ赴く。
孫権は鼎の中で油を煮えたぎらせ、使者の到着を待っていた。
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